不動明王 「ご巡行」(ごじゅんぎょう)
当山には、毎年4月、5月に、厨子に入ったご本尊・不動明王像を、地域住民で持ちまわる「ご巡行」という風習があります。
世話人(受け入れ人)としてお不動さまを受けた住民は、お宿(会場・おもに自宅)に安置し、
その間地域の人々が、宿となった方の家へお参りに行くことで、多くの方が仏縁を結ぶことができるというものです。
お宿が綴られた『不動明王御巡行記』には、
江戸時代の「文久2(1862)年」といった記録や、「宮益坂」(東京都渋谷区)、「鶴見」(横浜市)などの地名が見られ、
古くから広範囲を巡っていた足跡が残りますが、他の記録はほぼ無く、口伝やさまざまな書物を調査中です。
こうした「ご巡行」の風習は、一般に「出開帳」(でがいちょう)と呼ばれます。
厨子等に収められている仏像を他の土地に出張し、拝観できるようお祀りすることです。
江戸時代には嵯峨・清凉寺の釈迦如来、信州・善光寺の阿弥陀如来の出開帳などが人気を博したといわれています。
出開帳される仏さまは様々ですが、当山ではご本尊・不動明王像(現行、厨子タテ約50cm×ヨコ25cm)がご巡行します。
「不動」なのに他の土地に「動く」という点が全国的に珍しいとされています。
かつては1年中巡っていたようですが、年々とお宿も減り、現在は4月、5月のみ行われています。
参拝者にはご巡行特別札(手摺り)を頒布しています。
大正~昭和初期のころの様子を知る御世話人様の話をうかがうと、往時はお不動さまを担いで回り、
次の「お宿」に到着すると飴や酒、御馳走を振る舞われ、地域の子どもたちは大層楽しみにしていたようです。
その形態は現代まで続けられてきましたが、コロナ禍において会合は激減し、「お宿」も減少しています。
令和4年3月、当山の お不動さまははじめて箱根の関を越え、東海地方をご巡行いたしました。
コロナ禍にあって遠くの寺社仏閣巡りも憚られる昨今、ご本尊の方から出向くという「出開帳」の形態は
今こそ必要であると言えます。
「等覚院まではお参りに行けないが、来てくれるならぜひお参りしたい」という
当山檀信徒さまのご自宅に伺えたら、どんなに喜ばれるでしょうか。
また、学校や各種企業様向けの講座、貸しホールでの催し、ワークショップ、坐禅会など、
「お不動さまをお招きすることで、なにか学びや気付きが欲しい」
そうお感じになられた方は、ぜひ info@tougakuin.jp までお問い合わせください。
アイデア次第で様々な「ご巡行」のかたちが生まれてくることでしょう。
多くの方のご協力をいただき、こうした伝統をこれからの時代に、そして後世に伝えていけたらと願っております。